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陽光のようになりたい

陽光のようになりたい

陽光のようになりたい

「やめろ!やめてくれ」「いいよ!自分で出せるから」「駄目ですよ。ちゃんと痰を取らないと、
また肺炎が悪化し呼吸が苦しくなったり熱が出たりしますよ。それでもいいですか?」吸引実施時10人中8人の患者から拒否的言動・行動見られる。言葉や行動で表現できない患者は、涙を流し苦痛を訴える。そんな姿を見ると「ごめんね。こっちだってやりたくてやってんじゃないからね」と少しいじけた気持ちになってしまう。

A氏も10人中8人側の患者の一人であった。左肺癌の末期。骨転移からの右大腿骨転子部骨折、多発転移が認められ予後数カ月と診断された。

急性期病棟から私の働く慢性期病棟に転棟された頃は、カロナール200mg12錠/日と湿布で疼痛コントロールが行われていた。食事も自力摂取され、痰もそれほど多くなく自己喀痰できていた。
「ちゃんと痰は出せてますか?」「出せてるよ」朝のバイタル測定で自己喀痰の有無を確認するとかすれた声で返答された。それでも念の為吸引機を設置しもしもの時に備えた。ティッシュペーパーで痰を拭き取りゴミ箱に捨てていたA氏。しかし病状の進行と共にその行動は徐々に変化していった。

「Aさんおはようございます。今日の調子はどうですか?」朝訪室すると、枕元に痰を拭き取ったティッシュが散乱し、床にも落ちている状態。痰絡み様の咳嗽出現し十分に痰が出し切れていない事が分かる。「Aさん自分で痰が出せていない様だからちょっと吸引させて下さい。いいですか?」
A氏首を横に振る。「痰を取らないと肺に入って誤嚥しちゃうからちょっと取ろ」このやり取りを早く終わらせたいのか、渋々承諾し口を開けるも、首を横に振る・吸引する私の腕を掴む拒否的行動が見られ、吸引は数秒で終了となった。「ちょっとまだ残ってる様なんだけどもう一回いい?」A氏閉眼したまま首を横に振り、口を開ける事は無かった。SPO2:95%以上であり酸素化は良好。「痰が出てきたら出してくださいね。」と声掛けしその場を離れた。その後A氏はティッシュで痰を拭き取ることもおっくうになってきたのか、枕やシーツに痰を付ける様になった。声を掛けても閉眼したままで、呼吸苦の有無や疼痛の程度を確認する時もジェスチャーで返答するようになった。
痰絡み様の咳嗽や喘鳴も見られるようになり、夜間にも吸引する場面も度々あった。強く拒否をするA氏に対し、他NSに協力を求めA氏の抵抗する両腕を抑え吸引を実施した。吸引実施後抑えていた腕を離した瞬間、吸引で使用したサクションチューブを掴み取り、私の顔を鬼の様な眼光でにらみ付けた。私はその顔が忘れられない。

秋から冬に季節が変わる頃、A氏の食事摂取量の低下、血圧低下もあり脱水と診断を受け補液が開始された。状態の変化と共に酸素化も悪くなり酸素投与開始。吸引も各勤務帯で2回程度実施されるようになった。徐々にレベル低下するA氏の状態から、今後の方向性を確認する為、主治医より家族に対しICが行われた。本人としては自宅退院を強く希望されているが、家族は自宅での看取りに不安を抱いており、「自宅に帰りたい」と本人の言葉もある事から、予後短い事を考慮し一時帰宅・外泊が検討された。DrカンファレンやチームNSで話し合いを重ね、本人の状態を第一に考え一時外出が決まった。
A氏の自宅と病院迄の距離は車で10分程度であるが、入院中ベッド上臥床状態の長いA氏にとって、車椅子に移乗し車で外出する事は相当な負担である事は予想できた。当日の外出にはプライマリーNSが付き添う事が決まっていた。外出時の身体的負担を軽減する事が優先される為、プライマリーと相談し車椅子ではなくリクライニングタイプの車椅子に決めた。更にリクライニングに移乗後、どのような身体的変化が現れるか、全身状態を観察する必要があると考え、チーム協力の元日勤帯でリクライニングの移乗・観察が行われる事となった。
リクライニング移乗実施日。プライマリーを中心に私とチームNSの3人でA氏の身体の下にバスタオルを敷き込み、「せーの」でベッドからリクライニングに移乗させた。酸素投与2L、ナザール使用中であり移乗後は酸素ボンベに変えた。SPO2:90%後半を維持し血圧変動も無く移乗直後の身体的変化は無く、A氏は閉眼したまま自力体動は無かった。「せっかく車椅子に乗ったんだからテラスにでも行ってみる?天気いいよ」と私が提案すると他NSも同意した。A氏からは特に反応は無かった。
A氏にとって病室から出るのは数カ月振り。12月のわりには暖かかったが、風が強くテラスに出ることは諦めた。エレベーターホールに到着。一人のNSが「ほらAさん風が気持ちいいよ」とテラスに続くドアを開けた。やや強めであったがその風は温かくA氏の髪を揺らした。A氏は目を開けて風が吹いてくる方を見た。「やっぱり寒いか」と言ってドアは閉められた。壁半面がガラス張りのエレベーターホールは、太陽の光が射し込み冬の寒い空気を暖かく変え心地良い場所となった。「Aさんどうですか?大丈夫ですか?」NSが声を掛けるが、A氏からの返答は無く穏やかな表情が見えた。その数秒後その行動は突然だった。A氏は両腕を頭の上に伸ばし、鼻から空気を吸い込み肺癌に侵された胸を大きく膨らまして、ゆ~くりと大きな伸びをした。その姿は見ている私も気持ち良くなる程、自然な動きだった。A氏はそのまま伸ばした腕をお腹の上に置き、リクライニングに身を委ねた。「SPO2は?」「98%有ります。」私は小さな声で「酸素1Lに下げてみて」とプライマリーに言った。数分後「どう?」「変わりません」やったーと心の中で叫んだ。
コンサバトリーとはまるで別物であるが、A氏が過ごしたエレベーターホールは、冬の陽光で満たされた空間で、ぽかぽかと穏やかな時間が流れていた。
私はその場面を振り返り、北風と太陽の物語を思い出した。喀痰困難な患者に対し軌道浄化を図る為嫌がる患者を説得し、抵抗する患者の場合は抑え込んで吸引を実施ししていた。看護として必要な行為である事は間違いないが、それは旅人のコートを強い風で吹き飛ばそうとする北風に近いのではないかと考えた。吸引、酸素投与を継続しなければSPO2が低下してしまうA氏が、極々自然に、普通に伸びをして胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込みゆっくりと吐いたあの行動は、太陽の暖かさだと思った。
エレベーターホールで過ごすA氏の後ろ姿を見ながら、患者を包み込み患者の予備力を引き出す事ができる、暖かく優しい陽光のような看護師になりたいと心から思った。
更に今後看護師として経験を重ねる上で、自分の看護は陽光の様か?と自問自答し軌道修正する看護の軸を見つける事ができた。

 

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