患者にとっての普通とはなにか

患者にとっての普通とはなにか
看護師1年目の終わり、初めてプライマリーの患者を受け持たせてもらった。その方は50歳代と親世代の年齢で、気管切開し人工呼吸器を装着されていた。その方と関わる中で【普通】とは何か考えるきっかけになった。
この方は自身で食事を食べられているが、痩せており栄養状態も悪く、歩行することや車椅子に座ることもほとんどなく1日の大半をベッド上で過ごされている。コミュニケーションをとる中で「前みたいに歩けるようになりたい」「お祭りに行って美味しいものを食べたい」とご自身の希望を口にされていた。私たちは毎日通学や通勤、ご飯を食べる、運動をする、遊びに行くことができる。そんな日常が普通だと思う。
しかし、この方は痩せており筋力が弱いことや短時間でも人工呼吸器を離脱すること、車椅子に長時間座ることも難しく、外出することは容易なことではなかった。私たちが当たり前のように過ごしている日常を同じように生活することは難しいことである。この方にとっての日常とはどのようなものか、普通とは何か考えることの大切さを感じ、考えていきたいと思った。
この方には、同世代の方ができることができない悔しさや絶望感、いわゆる大勢の人にとっての普通の生活への憧れがあった。
入院中にお祭りへ行くことはできなかったが、医師の許可のもとお祭りを感じる食べ物をスタッフが購入し食べてもらった。その際、目に涙を浮かべ嬉しそうな表情をしながら食べていた。患者の希望を叶えることはできなかったが、患者の希望に寄り添えるようにすること、普通の生活を感じられるような関わりが大切であると感じた。
そして、患者にとっての普通とは。現状を普通と捉えつつも満足出来ずにいるかもしれない。現在のこの状態を普通と思っていないかもしれない。これからもその人にとっての普通とは何か考えて関わるようにしていきたい。