食べたい気持ちと誤嚥のリスク
食べたい気持ちと誤嚥のリスク
「おいしい」「おいしい」一口食べるごとに嬉しそうに食べる姿が印象的な患者だった。Y氏は30代で脳出血を起こし左片麻痺があり、嚥下機能も低下していた。Y氏のことは4階に転棟してきた日のことからなぜかとても印象に残っている。
転棟してきた日、私は準夜勤務だった。情報収集をして記録から読み取ることができたのはこだわりが強く訴えの多い患者であるということだった。当時私は看護師2年目だったが初めて会う患者にはとても緊張した。この日も同様に初めてあうこのY氏がどんな人なのだろうと不安と緊張でいっぱいだった。眠前の内服を吸飲みに入れたトロミ茶で介助すると「トロミがちょうど良い」「ありがとう」と言われた。気難しい患者を想像していたために感謝の言葉に少し驚き緊張がほぐれた。その日は特にナースコールが鳴ることもなく過ぎた。
転棟してきた当初はゼリー食だったが、ペースト食に食上げになると「温かいうちに食べたい」などの発言がでるようになった。昼食は介助に入れる人数が多いため比較的早く食事介助に入ることができるが、朝食と夕食は看護師の人数が減るため温かいうちに食べたいという希望に沿うことができないこともあった。それでもY氏は「おいしい」「おいしい」と言いながら嬉しそうに食べていた。
ある日Y氏が発熱し、誤嚥性肺炎の診断で絶食となった。これまでにも誤嚥性肺炎を起こしており脳出血の後遺症で嚥下障害があったため、今後食べられなくなった場合に栄養経路をどうしていくか主治医からY氏に病状説明を行った際、「死んでも食べたい」「胃瘻はいやだ」「延命処置はしてほしい」と希望があった。その病状説明の後ドクターとのカンファレンスで経口摂取をすると誤嚥性肺炎を起こしてしまう、胃瘻は拒否、急変時はフルコースの対応希望という内容にチーム内でもどのような対応をしていくか混乱したがまずは患者本人の希望を優先し誤嚥性肺炎治癒後は経口摂取を続けた。
Y氏は入院前施設に入所していたが、その施設で介護員から暴力を受けたということがわかった。キーパーソンの長男も暴力があったことは知っており「仕方がない」と言っていたという。長男はキーパーソンではあるが疎遠であり緊急連絡先くらいにしかなれないと言っており、ほかに長女もいるが関係が悪く連絡は取りあっていないということだった。一度だけ長男が日用品を持ってきた際に面会を申し出たことがあったが、Y氏がそれを拒んでおり家族関係がよくないのはY氏の方から距離を置いているのだなという印象を受けた。30代で大黒柱である父親が脳出血の後遺症を負ってしまったことで、Y氏も家族もきっと大変な思いをしてきたのだろうということが想像できた。現在は60代でありちょうど私の父親と同年代である、元気だったらまだまだ色々なことをしたかっただろう、孫の面倒も見たかっただろうと思うと胸が締め付けられた。だからこそ唯一生きていると実感できる食べることに固執していたのではないかと思う。私はこのY氏の食べたいという希望に応えたいと思った。一人の患者を特別扱いすることは出来ないが、出来る限り自分が食事介助に入れるようにした。食事のときは姿勢に気を付け一口ごとに嚥下確認しながら介助した。Y氏から「おいしい」「ごちそうさま」「本多さんありがとう」という言葉を聞くことができた。名前を憶えてもらえたことがとてもうれしかった。
その後も何度も誤嚥性肺炎を繰り返したが、Y氏は食べることをあきらめなかった。しかし嚥下機能の低下も著明にあり誤嚥性肺炎を起こす頻度も高くなっていった。そこで主治医から再度病状説明があり肺炎を繰り返すことで抗生剤が効かない耐性菌の肺炎になることが予測されると説明されたがそれでも食べたいという訴えは変わらなかった。肺炎を繰り返すごとにY氏のADLはさらに低下し自己排痰も困難になっていった。自己排痰ができないため吸引器で喀痰を吸引することになった。吸引をするようになったばかりのころは、苦痛を伴う処置の為Y氏は抵抗していたが、喀痰量が増えるにしたがい自分から「痰を取って」と言うようになっていった。吸引の苦痛に耐えてでも口から物を食べたいという強い意志のように感じた。
「甘いものが食べたい」というY氏の希望があり、毎食プリンや水ようかんやゼリーなどのデザートがつくようになりY氏の食事の楽しみが増えた。この時も毎回「おいしい、おいしい」とまるで初めて食べたかのように一口一口を味わいながら食べていた。
やがて肺炎を起こす頻度が増えていき、酸素化が悪化し酸素投与が始まった。絶食管理となり24時間持続点滴となったがY氏は「ご飯は?」とその時も食べることをあきらめていなかった。「肺炎になってしまったためしばらくは食べられません」と説明すると悲しそうな顔をしていた。
徐々に末梢ルートの確保が困難になりCVポートを造設し高カロリー輸液を投与するようになっていったが、肝機能障害が出てしまい必要なカロリーを確保するためには胃瘻かNGチューブが必要であると主治医から説明しNGチューブを挿入することとなった。
以前は拒否していた経管栄養を受け入れたころから延命治療にたいする考え方にも変化があり、延命は希望しないと意思表明されるようになった。ちょうどその頃長男が来院され、オンライン面会を申し込まれたことがあった。その日はたまたま私が受け持っており、以前面会を拒否していた経緯から「今回も拒否するのではないか」と思った。だがY氏はオンライン面会を受け入れた。長男は自分の妻と子どもたちを連れてきており画面の中から「また会おうね」などと話しかけたり、手を振ったりしておりY氏もそれに応えて手を振っていた。その姿を見て疎遠だったのは息子の生活を邪魔してはいけないというY氏の優しさからだったのではないか、また長男も本当は会いたいけれど父親が会いたくないというのならと互いに気を遣いあった結果だったのではないかと感じた。
その数か月後、夜間に突然呼吸状態が悪化し酸素投与し吸引したがY氏は息を引き取った。その日も私が準夜勤務で担当していた。1時間後、長男が到着し少しだけ長男と話すことができた。私は入院中のY氏の様子をできるだけ長男に伝えたいと思った。しかし父親をなくしたばかりの息子にどのように伝えればよいのかわからずあまりうまく伝えられなかったかもしれない。だが、入院中で家族が知ることのできなかったご本人の日常を伝えたかった。葬儀社のお迎えが来るまでの間にできる限りの言葉で伝えた。
Y氏の人生の最期に立ち会ったことでご本人がどのように過ごしたいと考えているかを知り、希望を叶えられるよう援助していくことが大切だと感じた。また、家族が知ることのできない入院中のご本人の様子を伝えることが患者の最期に立ち会えなかった家族の心の支えになるのではないかと強く感じた。看護師しか見ることのできない患者の人間らしさやほほえましいエピソードを伝えていける看護師になりたいと思いこれからの目標にしていこうと思った。