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花の香りのする素敵なご婦人

花の香りのする素敵なご婦人

花の香りのする素敵なご婦人

彼女との最初の出会いは病院ではなかった。端正なお顔立ちにベリーショートヘアー、広いつばの帽子を被り、派手目な柄のスリムな服を身につけ、自宅前の掃き掃除をしている素敵なご婦人が我が家のご近所に居た。いつお会いしても綺麗な身なりで、ふわっとお花の香りがした。そんな彼女がある日、3階病棟に緊急入院してきたのである。

1年前より倦怠感や腹痛はあったが病院嫌いのために受診はしなかった。入院1か月前より倦怠感と肩の痛みが強くなり、近医を受診。他病院で肝硬変と肝細胞癌と診断され、既に手の施しようがない状態であるとのことでBSC方針となった。肝右葉内側区域に17cm大の腫瘍を認め、肝細胞癌ステージ4。食思不振と下痢、下肢浮腫による歩行困難、腹水貯留による腹部膨満感を主訴として、疼痛緩和、腹水コントロール目的に入院となった。入院時にDNRオーダーのサインを頂いた。「ここまで生きたんだから、もう思い残すことはないの。人様に迷惑をかけず、苦しまずに死にたい」それが彼女の口癖だった「お酒は浴びるほど飲んだの。お店やってたからね。これでも昔はモテたのよ〜」と笑いながら教えて下さった。

入院時から下肢浮腫は著明で、全体に圧痕が残る。腹水貯留により、臨月の妊婦程に腹部の緊満が見られた。胸水貯留と貧血の進行により呼吸状態の悪化があり、起き上がるだけでハアハアと息を荒らげていた。排泄をどうするか相談すると、「ポータブルトイレは嫌です。トイレに行きます」とのこと。医師からの歩行許可を得て、その大きなお腹を抱え、重たい脚を1歩ずつ運び、呼吸が苦しくてもトイレまで歩いて排泄をする彼女を見守った。私は、少しでも下肢の浮腫が改善するように、体交枕だと下肢を挙上するには高すぎるとのことだったので、微妙な高さの調整をした特製足上げ枕をタオルで作った。先輩のアドバイスを得て、足浴やリンパマッサージを行った。「いい気持ちねぇ〜エステにでも行った気分だわ」と笑顔を見せてくださった。

入院後、利尿剤の使用により一時的に下肢浮腫と呼吸状態は改善した。しかし、「おしっこが頻繁なのが辛いからもう利尿剤は嫌」と投薬を拒否され、利尿剤中止により下肢浮腫は増強し、呼吸状態も悪化した。徐々に疼痛も強くなる。カロナールではコントロール出来ず、屯用でボンフェナク座薬の使用を開始。それでも疼痛が強くなる時はソセゴン注を使用した。

その後貧血が進行し、治療方針再確認のため、再度主治医より病状説明を行った。ご本人は「いつ死んでもいいと思っているけど、痛いのと苦しいのは取ってください。どうなってもお下の世話をして貰うのは嫌なんです」と。娘さんは「自分で決めたことは譲らないので、母の好きなようにさせてあげてください」とのこと。ご本人の希望を尊重し、血液製剤を単回使用した後、利尿剤も内服に切り替えることとなった。今後疼痛が増強する可能性を考え、麻薬の持続点滴使用開始にも同意された。できる限り生きている時間が苦痛のないものであるように、痛みと苦しみを取れる最善の策を考えていくこととなった。

しかしながら、尿道カテーテル挿入の提案だけは拒否されたのだ。当初より排泄は自分でしたいという希望だったのだから当然だろう。だが、私は彼女のQOLを考えるとカテーテルを留置するメリットは大いにあるのではないかと考えた。カテーテルを留置した方がトイレに行く回数が減るため利尿剤も使用再開できる可能性があり、労作時の呼吸苦出現の軽減や、歩行時の転倒リスクも回避出来る。諦めずに担当医やチームナースに相談を行い、チームの総意として尿道カテーテル留置を娘様に提案し、娘様とともにご本人を説得し、何とか留置を了承して頂いた。尿道テーテル留置後は羞恥心に配慮し、ウォシュレットを使用してご自身で陰部洗浄をしていただいた。ハルンバッグには我が子のお下がりの90cmのシャツでカバーをかけ、尿が見えないようにした。尿の匂いが気になるのではないかと気にされていたので、ラベンダーの香りのアロマオイルをカバーのシャツにふりかけてみた。「いい香りねぇ。香水が好きだったのよ。匂いって、人の印象に残るじゃない?」と彼女は笑った。入院前に出会った、お花の香りがする素敵なご婦人の笑顔だった。

その後他病棟の個室に転棟されたので、私が直接関われたのはそこまでであった。転棟から数日後、肝細胞癌が破裂した。家族に見守られながら旅立たれ、安らかな最後であったと他病棟の看護師さんから伺った。幸いなことに、お見送りはすることが出来た。ご家族に許可を得て面布を外し、お顔を拝見する。少し濃いめのお化粧が施され、真っ赤な口紅を纏った彼女はとても綺麗だった。娘さんから、「母の、プライドが高くて見栄っ張りな所を汲み取って下さってありがとうございました。何でも自分1人で決めてきたワガママな母らしい最後でした。」と言葉をかけて頂いた。私は、旅立ちが近くなろうとも、彼女が最後まで凛としたご婦人で居られるお手伝いを少しだけできたのかもしれないと感じた。

患者さんの思いに耳を傾け、残された時間をどう生きたいのか一緒に考えて行くこと。いつでも、いつまでも自尊心やその人らしさを保ち続けること。患者さんそれぞれの大切にしたい思いに気づき、寄り添える看護師でありたいと思う。

 

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